タイの日記

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言葉遣い

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ByTaitaimom

ブログを始めてしばらくした頃だっただろうか
関西出身の河原のわんこママの一人に「九州あたりになにか縁が?」と言われたことがあった。

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わたしが、タイのセリフに、「~しとる」とか「~しとらん」とかいう言葉遣いをさせているところから発想したらしい。

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ちなみに、わたしには、言葉遣いの影響を受けるような九州の縁者はいない。
父は東京、母は福島県会津地方、わたし自身は神奈川県の横須賀で育ち、
言語ルーツは九州はおろか関西以西には一切ないのだ。

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そういえばわたしの妹も、メール等ではそんな書き方をしてくることがよくある。

後になって、その関西出身のわんこママは、
「なぜかフェイスブック等のコメントで『~しとる』と書いてくる関東の人がよくいる」
と言っていた。
「~しとる」といういい方は関東や、もちろん標準語にはないはず。
でも、そういう言葉をつい使ってしまうのはわたしだけじゃないのだと知って、
確かに不思議だなあと思った。

「お・や・つッ」
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このブログの中で、わたしが犬たちにしゃべらせる言葉は、基本的にその飼い主が使う言葉遣いに影響されている。
「~だわ」とか「~かしら」とか女言葉をきれいに使うわんこママのわんこ(女子の場合)は大体そのまま女言葉を使う。そうしようと意識したわけではないのだが、いつのまにか自然とそう書いている。

        「もうおやつは終わりかしら?」
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「え~と、どうなのかな~、あたし女言葉とか使わないけど~」
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(↑もちろん、例外あり)

また、本当は関西弁を使わせたいところだけど、わたしの中にその正確な言語体系がないので残念ながら書けない場合もある。

「うふふ~ わてのことだすか~」
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(↑関西弁と言っても、フィーちゃんに使いたいのはどちらかといえば『あさが来た』の関西弁)

タイが「~しとる」とかいうのは、わたし自身の中に根付くその言語があって、それを使っているからにほかならない。
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その他にもタイの言葉として、
「こらー、○○なんじゃー」とか、使っちゃうことがあって、それってよく考えればどこから来てるのだろう?と不思議に思うことがあった。

「なんだか今日はちょっとウキウキしちゃうのよね~」
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(久しぶりに、めもちゃん相手にきなこちゃんの格技の授業開始)
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「あたしも、入る!」(←こむぎちゃんも久々参戦)
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                 「むむむう」(←タイもうずうずしてきた)
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                「ううっ でもぼく入れん~」(←参戦失敗)
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(楽しく遊ぶ三方とそれを見学するみなさま)
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でもちょっと前になるが、その謎が解けた気がしたのだ。


「えーん、めもパパー、ぼく入れんかった」
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「タイちゃん、ハイ」(ひょいっと持ち上げられるタイ)

「あれっ?なぜかぼく、足ぶらーん・・・」
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「えへへ~やだな~ぼくちょっとびっくりしちゃったよ~」
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それは、原節子追悼番組としてやっていた「東京物語」をテレビで何気なく見ていた時だった。

笠智衆演じる義父のゆっくりしゃべる言葉に妙に聞き覚えがあった。
それは尾道弁。
でも尾道弁になんでこんなに聞き覚えがあるのだろう?
尾道なんてわたしには縁もゆかりもない。


「へへへっ でもぼくめもパパのお気に入りなんだ~」
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じーっとその言葉を聞きながら考えていて、ふと思い当たった。

「ぼうやー~良い子だねんねしな~♪」
で始まるあのTVアニメシリーズ。


        「えへへっ ぼくってかわいいからな~」 
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子供の頃、毎週必ず見ていた「まんが日本昔ばなし」
あそこで使われていた言葉の多くは、このあたりの言葉ではなかったか。

                 「うふっ タイちゃんっ」
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                「ちゅうー」
         「んあ?」
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「そうして、鬼はここにはおれんようになったのじゃった・・・」なんていう市原悦子の語り。
あれを毎週見ていた子供たちは、その中で使われる言葉が母国語のように体の中にしみこんでいるのではないだろうか。
そう考えれば、関西以西とはゆかりのない関東以東の人たちがよく「~しとる」とか使ってしまうのにも合点がいく。

             「タイちゃん、あたしのパパからの申し込み受けるの?」
      「えっ」
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      「申し込み?」
               「あたしのお嫁入りよう」
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     「なぬ?」
               「うふん」
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そういえば、このブログにも書いたことがあるが、以前「野良犬トビーの愛すべき転生」というアメリカの作家が書いた10年くらい前の小説を面白く読んだことがあった。

最初に野良犬トビーとして生まれた犬が前世の記憶を持ちながら転生する話なのだが、
二番目に転生したゴールデンレトリバー・ベイリーは、ともに幸せを分かち合って一緒に育った少年が孤独な老人となった時に、最後の転生の黒ラブとして再会する。
ベイリーのおかげで幸せに恵まれた老人が最後死ぬ間際になって
「ああ、おまえ、ベイリーだったんだな」と悟るシーンはとても感動的なのだが、
一つとても残念なことがあった。


「ええー、でもまあ、なんとなくそれも、いいような・・・?」
              「あれ?タイちゃん、いつにない前向き?」
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それは、その老人が、少年だったとき、少年もその両親も普通に標準語を話していたのに、
老人になったら、急になぜか「わしは、○○なんじゃ」と広島弁?らしき言葉をしゃべるようになってしまっていたことだった。

少年・青年時代標準語を話していた人間が、老人になったからといって突然広島弁を流ちょうに話しだすことがあるだろうか?(しかもアメリカの話なのに?)
わたしは、どうしてもその老人と少年が同一人物に思えなくなってしまい、
話のつじつまを合わせるために老人の言葉を頭の中で一々標準語に転換しなければならなかった。


「なんか、そういうのもいいような気がする・・・(まるこ最近全然来ないし)」
           「しまった、あまりその気にさせちゃまずい・・・」
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         「あたしはあたしの可能性ってヤツを確保しておきたいだけなんだけどー」

訳者は当時30代前半くらいの年齢、幼児語が成長に従って変化するように、
人は老年になったら老人語に変化するものだと思い込んでいたのかもしれない。

でも、その訳者は確かわたしよりちょっと下の世代だが、
その世代も間違うことなき、「まんが日本昔ばなし」世代。
おじいさんやおばあさんは、まさに、あの言葉を話すものという感覚があったのではないか、
と思い至る。


「なんだか今日は風が清々しいぞー」
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「ま、でもタイちゃんのことだからどうせ、まるちゃん帰ってきたら『まるこおー』とか言っちゃうからな」
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                    (↑読まれている)


まんが日本昔ばなし、あの主題歌を聞くと、なんとなく懐かしいような切ないような不思議な気持ちになる。
あそこで語られた言葉は、わたしたちの世代の共通言語体験、なのかもしれない。

もしそうだとしたら、子供の時のTVの影響ってすごいもんだなーと今更ながら思うのだった。


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